探偵の知識

サーカス団員の初恋

2025年11月19日

図解 秘探偵・調査マニュアル
渡邉 直美

それは、人手が足りず現在休業中のサーカス団員からの依頼だった。「今から12年ほど前、僕が15歳の頃、巡業先でたった一度だけ会った”よっちゃん”という女の子にもう一度会いたいんです。当時、彼女は小学生くらいで、私が両親(サーカスの団長)や団員たちと宿泊先にしていた旅館の仲居さんの娘だったんです。「可愛い子だな”と思っていたんですが、恥ずかしくて結局一度も声をかけられず、それをいまだに後悔しているんです。当時、自分達も貧しかったですが、彼女たちもあまり裕福な暮らしはしていなかった覚えがあります」彼が語ってくれたのはここまで。それ以上のこと、対象者の正確な名前も旅館の場所も彼は憶えていなかった。
サーカスなら全国を巡行しているはず。これだけの情報ではとても探し出すことはできない。私は「もう少し詳しい情報がほしいのですが......。団長さんだったわけですから、ご両親に聞くと旅館の場所か名前がわかるんじゃないですか?」と訊ねた。
しかし彼は、「自分があの子のことを探しているのを両親に知られると恥ずかしいので、自分ではとても聞けない.....」とうつむいてしまった。人探しの場合、これはよくあるパターン。自分から聞けないからこそ、私たちに大金を払って頼むのだ。私は依頼者の深意を汲み取り、調査を開始した。
まず、依頼者のご両親に接触。もちろん、依頼者の名前は出さず、12年前に団員が泊まった旅館の場所と対象者のことを伺ってみた。さすがは団長、12年前のこととはいうものの、彼らの記憶は驚くほど鮮明だった。珍しいことに、旅館の正確な場所から名前までをわずか1回の聞き込みで知ることができたのだ!!!
しかし、面白いことに”よっちゃん”と呼ばれていたのは対象者ではなく、その母親の仲居さんだったということと、対象者の本当の名前は"ようちゃん”だということがわかった。このように依頼者が記憶を混同していることは予想以上に多いので、気をつけなくてはいけないといういい例だ。
私は翌日、ご両親に教えていただいた旅館へと向かった。すると…親子で揃って同じ旅館で仲居さんをやっていたではないか!! 周辺調査によると、対象者は独身。母親と2人暮らしをしているという。私は望遠レンズで対象者の写真を撮影し、依頼者に報告した。「昔の面影が残っています。この子です!!!」依頼者はいたく感選し、その足で旅館へと向かった。しかし、後日聞いたところによると、すぐ告白したわけではなかったらしい。
件の旅館へ泊まったはいいが、仲居さんを指名するわけにもいかないから、本人に会うことで、ようやく会えてもなかなか「あなたのことをずっと探していました」とは言えなかったという。
結局、告白できないまま、彼は半年間もその旅館に通い詰めたという。半年後、意を決して彼は告白した。「ようちゃん、ですよね。実は僕、12年前にここでお世話になったことがあるサーカス団員なんです。憶えてらっやいますか」と。
ようちゃんは、一瞬何のことだかわからないようだった。彼女は彼の顔をじっと見詰め、記憶の糸をたぐりはじめた。そして、次の瞬間、目に驚きの色が宿った。
「もしかして、サーカスのお兄ちゃん?」そう、彼女は思い出してくれたのだ。
おめでたいことに、その後2人は結婚し、今もその旅館で仲良く働いているという。まさに私は愛のキューピット。だから探偵は辞められない!!